祇園ちご餅(京都の食べ物)
昔は鉾町の稚児も八坂神社にお参りして、神の使いの資格を授かる儀式がありました。
が、今は長刀鉾にしか残っていないと言われています。
そのお参りの帰りに稚児は、行列に参加した人たちに楼門前の茶屋でみそだれを付けたもちと飲み物を振る舞った、といわれています。
大正時代に入り、稚児達のいろいろな世話をしていた菓子屋の主人がこの諺をヒントに作ったと言われています。
、甘く炊いた白みそを求肥で包みこみ、氷餅をまぶしたお菓子を考案しました。3本のちご餅が竹皮模様の紙に包まれ、3色の短冊で飾られています。
いかにも京都らしい食べ物ですね。
祇園祭のちまき(京都の食べ物)
祇園祭のちまきは、食べ物ではない。
通常は、ササの葉をイ草で巻き、束にして作られる。
祇園祭の「ちまき」は、厄除けのために各山鉾町で売られている。
ちまきが厄除けの役割を担っているのは、八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が旅の途中でもてなしてくれた蘇民将来に対し、お礼として「子孫に疫病を免れさせる」と約束し、その印として「茅(ち)の輪」を付けさせたのが始まりと言われる。
その後、茅(ち)の輪」が変化して「ちまき」になったのでは−とされている。
授かったちまきは、家の門口につるしておき、翌年の祇園祭で新しいちまきと取り替えるまでの1年間、厄除け・災難除けとして重宝されている。
くじ取り式・祇園祭(京都のニュース)
くじ取りは、祇園祭に32基ある山鉾の巡行(17日)の順番を決めるもので、巡行順をめぐり山鉾町の争いが絶えなかったため、1500(明応9)年に始まったとされる。
江戸時代は六角堂、明治時代は京都府庁や市役所など、終戦直後は八坂神社で行われたが、1953年からは市議会議場が会場になっている。
今年は、先頭の長刀鉾に続く「山一番」は、11年ぶりに孟宗(もうそう)山が引き当てた。
議場には、32の山鉾町の代表が集まり門川大作市長や祇園祭山鉾連合会の深見茂理事長、八坂神社の森壽雄宮司らが見守った。
午前10時、慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基を除く24基の代表が、予備くじの順に登壇してくじを引き、立ち会いの門川市長に見せた後、順番を読み上げた。
さきの巡行の「山一番」がなかなか出ず、孟宗山の代表が引き当てると、議場がどよめいた。
京都の食べ物(わらび餅)
中はこし餡が多く、粒餡のものもあります。
プレーンなタイプのわらび餅はおおむね馬鈴薯澱粉(でんぷん)を使いますが、茶席での使用を念頭においた丸形のものは本蕨(わらび)粉を使うことが多いようです。
どちらも独特の生々しい感じがしますが、それは手づくりならではの感触です。年数をかけて寝かせた蕨粉は風味が更に良いとされています。
粘りは穏やかです。
華やかな味ではなくどこか落ち着いた地味さがある。奇をてらわず昔からあるがままという菓子の雰囲気があり、仏教や茶道でいう「平常心」につながるような気がします。
どこをとってもくせがない。言い換えれば「ごくふつう」に思えますが、この自然さはそうやすやすと出せる味・雰囲気ではない。
これは個性で魅せようとする一般の菓子とは別の魅力であり、茶道と共に育った京菓子の世界において最もよく表わされているものであるようです。
この小さな丸いかたまりに奥深いおもむきが詰まっている。これぞ京菓子というべきだろうとおもいます。
京都三代祭り葵祭のヒロイン決まる。
毎年5月15日に催される京都三大祭りの一つ「葵祭(あおいまつり)」のヒロイン「斎王代(さいおうだい)」に14日、京都市東山区の老舗(しにせ)料亭「菊乃井」の若女将(わかおかみ)、村田紫帆さん(25)が選ばれた。
今年は源氏物語の千年紀にあたり、王朝絵巻の世界を伝える葵祭にとっても節目。織物の重要無形文化財保持者(人間国宝)の喜多川俵二さんの手によって、斎王代が着る十二ひとえが25年ぶりに新調される予定。
村田さんは同市内で記者会見し、「夢物語のような雰囲気の世界に参加するのは不思議な感じ。重い衣装を着こなせるようトレーニングしたい。又、少しでも多くの方に非日常のハレの日を意識していただけるように頑張りたい」と話した。




